このラノに賛成する理由

そろそろ再開しようと思っていた所に、面白い記事を読んだので反応してみます。


俺の大学生活がこんなにつまらないわけがない(仮)

「このライトノベルがすごい!」が非難されるべき理由と私家版「このラノ」2011・その1

とても読書に真摯でアツい人だと思う。僕は年間600冊なんて読んだことないです。

ただ、「自分にとって最高の一冊を探す」という読書の目的(で、いいのかな…?違ってたらすいません)でも、このラノは有意に働くのではないかと思ったので、その辺について書いてみたいと思います。



この方の主張は、

このラノにあがる作品は、有名になり名前が知られ、あまり読まない人でも読むようになった作品が上位に来やすい、それしか読まなかった人たちは必然的にその中から選ぶしかないから。

そして、そういう作品ばかりがこぞって読まれるとマイナーな良作が埋もれていってしまうので害である、

という事かと思います。これも違ったらすいません。誤認されることをだいぶ嫌う方のようなので、詳しくはリンク先をお願いします。

このラノが市場に与える影響というのがどの程度かもろくに知りませんが、確かに「このラノ1位」ともなればやはりそれなりに売れるようになると思います。しかし、それらが売れることが一概に害であるとは思いません。



まず、今までライトノベルをそんなに読んでいなかったような人にとって、導入としては別に悪くないのではないか、ということです。

今年はあれだし、去年はバカテス?一昨年は文学少女だっけ?

…うん、まぁ、別にいいとは言わないけど。比較的読まれやすい、読みやすい作品が上位に来る傾向があるとは思います。

なんといっても、大して読まない人も読んでるわけで。ネームバリューでもなんでも、「読まれやすい」ということには一定の意味があるのではないかと。

導入の時期に適当に手に取った作品が、ニッチな作品だったり、残念ながらハズレだったりして、強烈に肌に合わなかったりして忌避するようになってはもったいない。将来のヘビーユーザーかもしれないのに。

そういうことはこのラノから入ると比較的避けやすいのではないかと思います。

ようは、このラノを見るノベラーがその時点で全員ヘビーユーザーというわけではないと思うので、その作品をきっかけに、より沢山のラノベを読むようになることはないだろうか、ということ。

そしてもう一つ言えるのは、「このラノ」がなければそこで発生する需要もなかったかもしれないこと。

まぁ要するに、このラノは少なくとも「ラノベ市場を活発にする」ということには一役買っていると思うわけです。




そうなれば、マイナーな作品を新たに読み始める人が出るかもしれません。

人気が出た作家が、自分の書きたいことを押し出せるようになって、傑作が生まれる可能性もあります。作家も金がなければ生きていけないので、売れないうちはそりゃ売りたくもなるんじゃないかと。まぁ個人的には、売れることを意識しつつも個人のやりたいことを出そうとしたときの方が傑作にはなりやすい(その人にとって最高の一冊となるかは別として)という意見に賛成なのですが。

または出版社にお金が回って、事業を拡大して、他の作品もプッシュするとか、ニッチな企画を通すとかしてくれるようになるかもしれません。その結果(ry

まぁ全部妄想なので、本当はこんなこと全部絵空事かもしれませんが、ノベラーの開拓は十分ありうるのではないかと思います。

そもそも数を読まない人は自分の好みも良く分からないと思いますし、とにかく読むきっかけがある、という点が重要視されてもよいのではないかと。

他にも単純なランキングだけ見なくても、このラノはジャンル別の紹介やら、様々な部分で新たに情報を得られる部分もありますし。唐辺葉介さんの『犬憑きさん』が紹介されてたときは躍り上がったものです。



まぁ結局、凡庸なことばかり並べ立てて来てしまいましたが(なにせ凡人なので、すいません)、別にこのラノ、やったらいいんじゃない?と思います。自分の好みと情報網を確立している人は、いまさらこのラノ頼りもないでしょうし。良い参考にはなると思いますが。

ここまで書いて、リンク先の記事のコメントを読んで、同じような指摘を既にコメントでしている人がいることに気づいた。さてどうしよう?まぁいいか。