『問題児たちが異世界から来るそうですよ?』が自分の周りで予想外に不評だった件
問題児たちが異世界から来るそうですよ? YES! ウサギが呼びました! (角川スニーカー文庫)
- 作者: 竜ノ湖太郎
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2012/10/01
- メディア: Kindle版
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・ただの俺TUEEEEじゃないの?という感想
先日集まって飲んだ時、今アニメを絶賛放映中の『問題児たちが異世界から来るそうですよ?』が予想に反してかなり不評だった。
理由としては、主人公がチートすぎるので、どこにカタルシスを見たらいいか分からない、というのが大半だったように思う。
ただ、私としてはこの評価はとても不思議だった。確かに強いことは強いのだが、以前に感想を書いた通り、この話の力点はそこにはおかれていなかったはずだ、と思ったからだ。
どうも不評だったのはアニメ勢からだったので、その辺に原因を考えてみたい。
・アニメは非常にすっきりしており、分かりやすいが……
最近の分は未試聴だが、4話程度まではアニメ版を見ている。少なくともこの範囲に限定するなら、とてもよくできているように感じた。小説よりもだいぶ話が分かりやすいからだ。小説を読んだ身としては、この分かりづらい部分がすっきりしたことで、おおよその欠点は解消できたように感じたほどだ。
しかしアニメ勢は、単にチートしているだけだという。ペルセウス戦も全く手こずらなかったし、どうも「そういう話」なんじゃないかと思ったらしい。
私自身は1巻を読んだ時から、説明は分かりづらいが、この話は「ゲーム」をやりたいんだ、という点を評価していたので、その要素が軽んじられているのが納得いかなかった。どうしてそういう風に受け取ってしまうのかと。
ただそれだけアニメ勢が俺TUEEEにフォーカスしていることを考えると、アニメから入るとそういう風に見えるかもしれない、という思いも出てきた。
・ギアスロールの扱いに差
そこで差を考えると、どうもギアスロールの扱いが大きく違うように見える。
小説ではフォントも変えて、いかにも契約書という言葉づかいを用いて、フォーマットを整えている。これが一つ、内容はともかくとして「ゲームらしさ」の演出に一役買っているのは間違いない。
ところが一方で、アニメ版では紙として手に取りはするものの、内容については口頭で聞くのみである。
そのため小説では、ルールを設定しゲームで戦う、という部分が強調されているのに対し、アニメではストーリーの一部としてギアスロールというものがあるらしい、という位置づけになっているのではないか。
確かに、1巻では謎を紐解いていく面白味は薄く、どちらかというとドンパチやって戦うバトルとしてのエンターテイメントが強い。
この点が、ギアスロールを軽く扱うことによって、面白味の順番に逆転が生じて、「ゲームの中では、割と腕力中心」というような感想から「バトルする中に、少しゲームの要素がある」という評価に変わったのではないかと思われる。
後者のように感じてしまえば、面白味が感じられない、という感想もある程度理解できる。
またその場合、面白くないと感じる理由はまだある。
バトルが主軸であるとみなしてしまうと、十六夜だけが突出して強すぎるのだ。他の二人の存在意義がないほどだろう。
そのためこの小説の魅力の一つである、「それぞれのキャラが、あくまで対等な相手として友情を築こうとすること」というのがどうにも滑稽に見えてしまいかねない。バトル面で見れば決して対等ではないからだ。例えば十六夜がフォレス・ガロとのゲームに参加しない辺りが、そのためのスタンスであると見えづらい。
単純に俺TUEEEEだけが問題ではないのだ。どんな物語にも、多かれ少なかれそういう要素はあるので、それが理由とはなりえない。その要素を物語としてどう両立させるか、という点が腕の見せ所だとすれば、確かにこの話の面白さを損なっている可能性はあるのかもしれない。
私は小説を先に読んでいたため、先入観があったからそうは見えなかった(もしかしたら、小説を読んでもそう思う人もいるのかもしれないが…)とすると、改めてアニメ化の難しさを感じる。
そう考えると、この点に留意して、アニメから入って、ラノベを読んでみたときの感想を聞いてみたいものだと思う。
次回は2月11日でお願いします…
今回は地道に準備も進めていたし、何とかなるかなあと思っていたのですが、なりませんでした。2週間ばかし休みます……すいません。
ただ再開する日を決めないとだらだら先延ばしになりそうなので、2月11日と言っておきます。
無事に帰ってこれることを祈りつつ…
我が家のお稲荷さま。 不思議な雰囲気
- 作者: 柴村仁,放電映像
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 2004/02/01
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・古き良き電撃の佳作
ひょんなことからお稲荷様がうちにやってきて無双したりまったり日常したりするドタバタコメディ。
2004年というから、もう9年近くは前の作品らしい。確かに、今だったら丸められてそうな要素が随所に残っていて楽しいし、ラブにもハーレムにも傾かないほのぼのした雰囲気も心地よい。
お稲荷様が男にも女にも化ける、といういかにもそれっぽい設定があるかと思いきや、性格がやたら豪快だったり容赦なかったりする所といい、化ける力が弱まると獣顔に戻ってしまう所といい、なんとなくバランス感覚がある。
男女比のバランスの取り方もラノベらしくない…というと語弊があるかもしれないが、ごく自然に周りにいる人を描いたようで、違和感がないことに違和感がある。
この辺一夫多妻制がデフォのラノベ業界が他と比べると特殊なように思えるし、一度なぜそうなったか考えてみるのも面白そうだ。
内容についても一本別のテーマがあるため、特にジャンル分けにこだわることもなく、自由に横断して要素を取り入れているように見える。その意味では、エンターテイメントとしてあいまいなカラーにするためには、一つ描きたいテーマがあるのが条件として考えられる。
なにぶん劇的な話でもないし、派手さはないが、最近こういった話はあまり見かけないので、一度読んでみるといろいろ比較ができて面白いかもしれない。もちろん内容としても面白い。
中二病でも恋がしたい 中二病の動機に切り込む
※2節目以降ネタバレ
・小説から換骨奪胎して別物へ
中二病を卒業して、高校からは一般層としてやっていこうと決意していた主人公。しかし一目惚れしたヒロインは邪気眼中二病で……という、元中二病の人間には悶絶もののラノベ原作アニメ。
さすが京アニ!というくらい、とにかく面白かった。大量の新キャラや設定の変更を経て原作からは予想もできない進化を遂げている。
原作ありきではあるのだろうし、テーマとして中二病の扱いが異なるので、一概にどちらがいいというのは難しい。ただあえて面白さを比較するなら、やはりアニメの方が格段に面白いとは思う。
なぜアニメの方が面白いのかはともかく、アニメ版で中二病がどういうものとして扱われたかを見ていくことで、その差について考えたい。
・中二病について原因から考えるアニメと小説の違い
本作のヒロイン・六花の中二病は、現実(父親の死、及び周囲からの圧力)への適応を拒否したい六花の願望を叶える方法として登場する。つまり、中二病になる動機を深く掘り下げる。
中二病については諸説ある、というか明確に一つのものを指す言葉ではないと思う。Wikipediaでも「中二病(ちゅうにびょう)とは、中学二年生頃の思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を揶揄した俗語である」とある通り、非常に広い意味で使うことが可能だ。
そのため、中二病それ自体に形を与えることは難しいが、共通の特徴はあるような気がする。それは、社会で一般的な価値観に則って話をしても通じないことと、そのずれた自分の価値観を肯定的に考えている点だ。良くても「普通はそうだよね」といったリアクションが返ってくる。
全く厳密な話ではないが、その辺りから私は、ナルチシズムが社会に適応しようとする過程で見られる一連の反動及び衝動ではないかと考えている。
この意味で、私はこのアニメにおける中二病の扱いはかなり妥当だと思った。六花のような周囲との軋轢が顕著な場合において、主人公がやっているのを見て憧れるだけで本人のうちにそのような価値観が芽生えるか、という点の真実味は分からないが。
ともかくアニメの方では、六花の中二病を動機の面から肯定するか否かというのに対し、小説では中二病という結果を肯定するか否かという議論をしている。この点でアニメと小説はテーマが異なる。
議論のステージが違うので、両方見て、視点の違いを感じるのも面白いと思う。
・アニメ版はなぜここまで面白くなったか
あまりに違うので比較が難しいが、一つには視点の多さがあるだろう。
アニメ版には様々な立ち位置の人が登場する。
元中二病だが、ほろ苦い程度の主人公、同じ元中二病でも、激しく過去を嫌がる丹生谷、現役中二病の六花は原作と同じ立ち位置だ。ただそこに、理解はしても全否定する姉と、そもそも理解しない家族、その有無に無関心な先輩、フォロワーである凸守などが加わることで、中二病への多様性が広がっているように見える。
多様性が広がると落差が生まれやすいので、様々なところでギャップが生まれ、おかしみが出るのではないかと思う。
後は、部活を作ったことが大きいと思う。同じ部活に所属することによって、友情などの別の軸を立てることに成功しているように思う。
つまり、中二病と恋、もしくはその中二病の解体という要素だけではなく、「こんな集団に所属できたらいいのにな」という見方が生まれている。
個人的に、アニメは最近(でもないが)この仲良しというか日常というか、そういう要素が特に重要になってきていると思う。少なくとも京アニは明確にそのことを意識した作品を多く手掛けているように見えるので、それをここでも意識的に使って行ったのだと思う。
このアニメの人気やセールスがどうか、そのおかげなのかなどは分からないが、少なくとも面白くなっているとは思う。
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この作品は嬉しい誤算で、相当面白く見れました。中二病だった(現役含む)人は相当悶えると思いますが…私はかなりキました。それでもオススメです。
K(アニメ) どこへ向かったのか
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※2節目以降ネタバレ
・豪華ライトノベル作家陣が脚本を担当した異色作
有沢まみず/古橋秀之/あざの耕平/壁井ユカコ/来楽零/鈴木鈴/高橋弥七郎
突然なんの羅列かと思われるかもしれないが、本アニメの脚本を担当した作家陣である。組織名としてはGoRAというようだ。アニメ化した作品を書いた方が半分くらいだし、分かる人なら全員分かるかもしれない。
それだけのメンツを揃えただけに、どんな作品になるかは注目していた。
ストーリーは、とある殺人事件で主人公が犯人という疑いをかけられて、その事件の謎に迫っていく……だとあまり説明できていないが、とにかく説明の難しい話であった。
何話見ても、どんな話として見ればいいのかよく分からないのだ。最後まで見た今も、その感じは変わらない。
雰囲気やネタ、キャラは面白いと思う。ただ、その面白さが話にあまり関係してきていないように感じるのだ。まずはその辺から考えてみたい。
・散りばめられたネタの数々
やはり目立つところで言えば、自動の掃除ロボットの台詞だろう。「かたじけない」「図が高い」「押してまいる」など、謎の台詞をまき散らしながら掃除している様は実にシュールだ。
後は淡島さんの謎のあんこ好きとか。ただのイケメンかと思われたキャラが師匠の語録をボイスレコーダーで撮っており、折に触れ聞き返すという奇行もあった。
話の流れで笑わせるというより、こういった現実にはありえないような一発ネタで笑わせるというのは、どちらかというとコメディタッチの作品に使われるものだと思っていた。
一方で張り巡らされた伏線や、殺人事件の影が付きまとうことによって、否応なくシリアスな展開になる。
別にどんな話かというのは、一つに統一されている必要はないのかもしれない。『コードギアス 反逆のルルーシュ』などは、日常と非日常を切り替えながら実にうまくやっていた。ただこの作品の場合は、リアリティを出したいのか、出したくないのか?が判断できなかったので、どんな話としてみればいいのか分からなかったのだと思う。
・主人公はだれだ……?
もう一つ話を捕まえ損ねた理由として、主人公がよく分からなかったことがある。
話の多くはシロを主人公として描かれるのだが、殺害のストーリーにはさほど絡んでこない。猫やクロもほとんど巻き込まれ型だ。ここにメインで関わるのは赤の連中で、青などは伏見以外ほとんど蚊帳の外に見える。
ラストシーンとしても、おいしいところを持って行ったのは赤で、シロが何をしたかったのかは定かではない。学校のメンツも描かれる必要性は特に感じなかった。
ヴァイスマンと中尉の話が後半少しクローズアップされていたが、さほど回収された感触もない。
そう考えると、この話は一体誰の話だったのか、というのもよく分からないのだ。この物語は何のためにこのように切り取られたのかと言い換えてもいい。
これは一つに、脚本家の人数があまりに多かったことが少なからず関係しているのではないかと思う。キャラクターや情報の伝え方、目指す方向性が各回ごとにどんどん変わっていくような印象を受けたからだ。恐らく、ネタが宙に浮いた感じになったのもこの印象と無関係ではない。
大人数で集まって一つの話を考える難しさを垣間見たように思う。
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いろいろ書きましたが、雰囲気を楽しむ分にはもしかしたら問題ないかもしれません。声優も豪華(と判断できるほどの知識もありませんが…)だと思いますので。
続編が決定しているそうなので、どんなものになるのかは気になります。
偽りのドラグーンⅤ 二部まだー…?
- 作者: 三上延,椎名優
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※2節目以降ネタバレ
・亡国の王子ジャンの成長物語
よくも悪くも『ビブリア古書堂の事件手帖』で一躍有名になった三上氏の作品。一方本作は竜と人が共存する異世界で少年の成長と戦争を描くファンタジーだ。
亡国の王子としての身分を隠し、孤児院で暮らしていたジャンは、身分を兄のヴィクトルと偽り竜騎士を養成する学園に入学する所から物語は始まる。目的は祖国を滅ぼしたレガリオン帝国への復讐だ。
1〜3巻辺りは、成長物語としてよくまとまってはいるものの、主人公が最初あまりに幼いのでなかなか話が進まない。本格的に面白くなってくるのは4巻から、というところなので、読むならぜひそこまで読み進めてほしい。
ただ、伏線は一応回収したし、キャラの関係性にも一通り決着がついて終わるのだが、少し不完全燃焼に見えなくもない。多分、この世界が今後どのように進んでいくのかが気になるからだろう。そんな気分になるあたり、やはり面白かったのだと思う。
・闘争に正義なく、それでも人に正義あり
今回はジャンの立場から描かれているため、ユニオンが正義でレガリオンが悪のようだが、恐らくどちらとも言えない。もちろん、レガリオンの掲げる大義が正義というわけではもちろんないが、過去に行ったであろうユニオンの迫害及び侵略(たぶん)が帳消しになるわけでもない。
それぞれの立場があって、そこから正しさというのはそれぞれの形になるのだろう。身近な人間のために祖国に剣を向けたクリス、己の顕示欲のために貴重な戦力を殺そうとしたアダマス、必要以上に殺すことを拒んだティアナ、パラダイムのシフトを願ったヴィクトルやグロリア。
善し悪しがあるわけではないが、そういうものであるという事実は理解しておく必要があるような気はする。
ただし問題はその先、どのような理想を描くべきかであると思う。2部が見たかったのは、仮に2部をやるとするなら、ジャンが今後どのような形を描いていくのかがテーマになったはずだからだ。
一つ例を挙げると、今アニメ化している『まおゆう』は同じような試みをしているように思える。「あの丘の向こう」とはそういうことではないだろうか。
まあ、答えがあるなら世界はとっくに平和になっているはずなので、「それを考えること」その試み自体の重要さを忘れない方がさしあたっては必要なのかもしれない。
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なにかもう少し構造などの方に見るべきポイントがあったような気がしないでもないのですが、現状言葉にできていません。ストーリーとして自然に流れていると切り取るのが難しいですね……