金環日食を見逃した日 rewrite

・あるいは逸脱性の問題?

風景はお好きでしょうか。


僕は残念ながら風景にあまり興味がありません。好きなものの理由を説明できない程度に理由もないので、比較的どうしようもありません。


そのため、こういったものもなかなか興味が沸きません。

だから見逃したと言うよりは見なかっただけなのですが、こうも世間が騒いでいるとなんだか残念な気持ちにならないではありません。


・どうしてこうなった

別に周りと違うことについては割ともうどうでもよくなってきたのですが、周りがすごいすごい言っているものがまるで心に響かないと、「あれ、俺って感性超磨耗してね?」と心配になってしまいます。

これは絵画などにも言えて、「すげー!鳥肌たった!」とか言ってる横できったねえ絵だなとか思ってると、ギクっとします。

そのほかにもクラシック音楽なんかもそうで、いったいこれに感動する人はいつその感性を身につけたんだろう?と不思議で仕方ありません。


・自分の感性くらい自分で守れ

そんな自分でもまあ確かにシビれるモノというのはあるので、それを守るにやぶさかではないのですが、では何をしたら増やせるんでしょうか。

こいつは難題です。どうしたら金環日食で感動できるんでしょうか。

月の営みの膨大な年月を思えばいいのでしょうか。悪くはなさそうですが、別に26年ぶりってたいしたことないですよね、多分……。いまいち。

太陽が覆われる非日常さを考えればいいのでしょうか。そりゃわけも分からずいきなり「日が食われ」れば、なんじゃそりゃ!と昔の人が恐れおののいたのも納得ですが、月の軌道がたまたま地球と太陽の直線状に入っただけと分かってしまうと、タネあかしされた手品のようで……。

周りの感動を上手くもらえるようにすればいいのでしょうか。もらい泣きに近いですが、そもそもなにに感動しているのかの源泉が分からないと上手くいきそうにありません。


・別に特別欠けているとは思わない

まあそんなこと考えている時点で、だからお前はダメなんだと。我ながら。

だいたい別に分かってはいるんです。興味があるのと同じくらい当たり前に興味がないのも当たり前なことくらい。すべてのものに興味を持っていたらやってられません。

きわめて前向きな捉え方をすればみんな違ってみんないい、悪くても持っている武器が違うって程度ですし、気にすることはないんです。

興味のない人は、ゆとりを持って金環日食を見逃しましょう!

なんで金環日食を取り上げてこんな話になったんでしょう。ひどいものです。