ケモノガリ1,2


なんとあの『あやかしびと』の東出祐一郎さんがラノベを書いておりました。2巻が出るまで知りませんでした…反省。

どんな話かというと、なんのとりえもない凡人かに見えた主人公、しかしその実態は殺人の天才だった。本来、人間を「狩猟」する事を娯楽とする下種どもに狩られる存在だったはずの主人公のその才能が開花するとき、その立場は逆転する――という感じです。わりと裏表紙の説明そのまんまですが。

この小説を表すなら、某アニメに使われたキャッチコピー「痛快娯楽復讐劇」というのがふさわしいかと思います。

まぁ、主人公が何人殺すんだか分からないほど殺しまくる血なまぐさい話ではありますが、狩られる側には一片の同情も感じないので、そういう話が大丈夫な人は楽しめると思います。エンターテイメントとしてのクオリティは文句なし。

むしろバトロワみたいな、「どうしてそうなった…」と目を覆いたくなるような凄惨な話ではないです。そういう意味でも、作者の方の「エンターテイメントに徹した」という話には肯けます。

B級なんちゃらとか言われるかもしれませんが、面白ければ勝ち。

以下ネタバレ
まぁ1巻のラストはどうしてそうなった、と思わないではないですが。

観念的な話で捕らえると意味がつかみづらいですが、実際問題に降ろしてきてみると、クラブを壊滅させようと企む主人公にとって最愛の存在のあやなは、クラブから見たら恰好の弱点になってしまう。

それゆえに会うと危険だから会えない、会わないというのは確かにその通りではないかと。

むしろ面白いのは、主人公は論理的に考えてその結論に達してる風ではないことでしょうか。

主人公は、生き残り、人を殺すためであれば、それこそ絶対無比の力を発揮する。

それゆえに、あやなが人質に取られて、彼女の命と自分の命を天秤にかけられたら、自分は自動的にあやなを見捨ててでも自分が助かり犯人を殺してしまうんじゃないか、と無意識のうちに察している。

察しているからこそ、才能を十全に振るいクラブを壊滅させる道を選ぶことは、あやなと二度と会えない道だという結論に論理的に考えずとも到達できる…。

なんて事を考えてました。どこか小節内に書いてあったかもしれませんし、普通に妄想かもしれません。

まぁだから、どの道納得のエンドではあるな…と思いました。

さすがの東出さんでした。