成長は否定された場合しか成しえないかもしれない

・成長は「面白い」の重要なファクター

まだ全くつめていない考えですが、どうでしょう。

物語における「面白い」とは③

前回のこの話で価値観の深化の話をしました。このとき、キャラクターに没入して物語を味わうのですが、価値観の深化が起こる場合の多くはキャラクターが成長したときに起こると考えられます。登場人物と一緒にアップデートするのが一番分かりやすいですし。

ではその成長ってどんなときに起こるのでしょうか。

これが分かれば、すなわち物語の類型を語る上でヒントになるはずなので、次はその辺を考えてみたいと思っています。


・成長は否定された場合しかなしえない?

で、一つの仮説がこれです。「成長は否定された場合しかなしえない」

価値観の深化自体は欲望の充足をもたらしますが、それは既存の価値観を部分的にせよ否定せねばならず、大きな苦痛を伴います。お前の人生はダメだ、なってない!と言われたらそりゃ辛いですよね。

価値観を否定されたら存亡の危機ですから、激しい怒りと対抗心で対抗馬の価値観を叩き壊すか、自分をアップデートするか、それも無理ならあきらめて「あいつは俺とは違う種類の人間だから」と納得するか、とにかく激的な反応が起こることが考えられます。

けどそれくらいしないと、快楽原則に流されがちな人間が価値観の深化を進められるのか?という疑問はあります。

子供は甘やかされて育つとダメになると言いますし、競争相手のいない人間は実力が伸びにくい。会社でも、今話題の競争相手のいない独占企業なんかも腐りますし、社内で競わせるところも多いと聞きます。

つまりなんでもいいのですが、外的な刺激がないと人間は成長しないんじゃないか、それも否定されるくらい強い圧力があったときと言うわけです。


・条件は否定する主格が自分であること

ここで注意すべき点があるとすれば、否定する主格が他人であると考えがちですし、確かにきっかけが他人の否定であることは間違いなさそうですが、成長が起こる場合は自分もそれを認めて自分の価値観を否定したときのみに起こる、ということです。多分。

他人に否定されて、さらに自分でも否定しなきゃいけないから重いんですね。多分自分で自分を否定しなければ、ただ怒るか、あきらめるかして終わります。

そう考えると、ビルドゥングスロマンに人気があるのは、この苦痛な行為を代行して主人公が引き受けてくれて、真に迫る物語であればその過程や結果を納得できる形で提示してくれるからかなとは思います。

話が拡散しそうなのでやめておきますが、自己を否定する能力が極めて強い人間は恐らく「天才」と呼ばれるんじゃないかなー、とか。

なにも着地点を決めずに書いているので、内部で矛盾があるかもしれません、あしからず。