夏色キセキ 例え販促用でも……

夏色キセキ 1【完全生産限定版】 [DVD]

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・ちらつくスフィアとローソンの影

主人公4人が全員スフィアと言う脅威のアニメ。

本テーマにさして関わりなくアイドルの話がたくさん差し挟まれる辺り、そしてそれがだいぶスフィアの歌(?)だったりする辺り、なんというか〜戦隊〜マンとか、〜ロボとかそういう、玩具を売るための番組っぽさを感じないではないです。やたら出てくるローソンとかな!

ただ、それだけで終わったかというと決してそんなこともなかったので、ちょっと触れておきたくなりました。

実はこの話って友情をテーマにちゃんと掘り下げようとしたし、一話一話もちゃんとエンターテイメントにしようとしてたんだぜ的な。


・お石様と転校

このアニメでいいなと思ったのは、「お石様」と「転校」によって出来事を強制的に起こして、エンターテイメントとして成立させながらテーマをより深めようという試みです。

お石様によって願いが叶うというのは分かりやすい欲望充足型のエンターテイメントですが、4人で体験することで、それぞれの人間性の再確認→関係性の強化という流れが自然にできます。

また、4人のうち一人が転校してしまうことで、この問題に真摯に向き合うことになります。それにより時間当たりの意味合いを濃くして、真剣に人間関係に取り組む=テーマを追求する、というものになっています。


・どうなったら友達ですか

古今東西よく話題にされると思います。一体何がどうなったら友達なのか。

よく言うのは「友達だと思ったら友達だ」でしょうか。私も概ね賛成です。

じゃあ友達だと思うときってどんな時なんだ、と考えると段々混乱してきます。定義の中にその言葉を使っていますから、当然そうなります。

基本的には友達って明確に言語化しておらず、「なんとなくこういうイメージ」みたいなものだと思います。これは、友情が自ら考え出した存在ではなく、どこかで見たのを借りてきたものだからです。物語とか、実際の親とか兄弟の様子とか。

ゆえに友情というもののイメージを再確認しようとするこのアニメの試みは、実はけっこういいんじゃないかなと思ったりしています。まあ言語化して説明できるテーマだったら極論、物語にする必要ないですからね。

試みが成功しているかどうかは……まあ。

余談ですが、私は友達の定義は「共有する幻想のレベルが親しいほうに一定の閾値以上に達した人、ただし閾値は人それぞれ」だと思います。別に考え方が合ったり趣味が合ったりする必要はないです、多分。なんか当たり前のことをドヤ顔で言っている気がしてきた。

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そんなわけで、別にこのアニメが回しもんだと非難したいわけではなくて。回しもんかもしれないけど、ちゃんと話として成立していたし、それなりに面白かったよ!という話でした。