灼熱の小早川さん 計算された違和感?
- 作者: 田中ロミオ,西邑
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2011/09/17
- メディア: 文庫
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・思わず語りたくなる
この小説は単純に内容を吟味するだけでは真価を測れないかもしれない。
そのぐらい内容に向かって意見したくなるんですよね。そこから自然と、テーマにされている問題について自分で考えることにつながるという流れです。
この絶妙な「意見したくなる」感覚こそ、計算して狙われたものだと考えると、そこに提示されたものは一つの起爆剤として見るべきではないかと思うからです。
脇の甘さがあっても大丈夫と言うか、むしろそれも計算?はいいすぎかもしれませんが。
内容は非常にフラストレーションが溜まると思いますが、最後にバッサリやってくれますし(これでやんなかったらキレていいかも)、むしろフラストレーションも含めて楽しめる小説かもしれません。
・語りたい点
じゃあさっそく作品の意図に乗っかって適当に意見してみたいと思います。
①進学校って本当にそうかなぁ…?
ありえないとは言いません。だから的外れな主張と言えばその通りなんです。
ただ、まあまあ進学校にいた私としては、この空気は結構考えづらいものがあるんですよね。
進学校にいる連中って、無駄にプライドが高くないですか。ちょっと勉強ができるからってチヤホヤされてたからでしょうか。だから、「こんなこともできないの」的な、当たり前のことに対してできないっていうのは、結構違和感あるんですよね。
掃除や委員会に出席しないって。これは表れ方としてはちょっとなあ、と思います。
無視とか、ハブきとか、そういう個人攻撃なら分かるんですけどね。そっちのがダメだけど。
いじめ問題とか、そういうところに首を突っ込みたくはないので詳しくは論じませんが、個人レベルの話についてはこういう一般論が通じにくいとは思います。
②テニス部ナメんな
テニス部の話がちょいちょい出てきますが、それがまた何とも。
テニス部で新しいラケットを買っていくと先輩に目をつけられるって、そんなわけあるか馬鹿やろう。あったとしたらよほどの弱小というか、せいぜい部活の体をなしていないようなところじゃないでしょうか。
テニスのラケットはいいものと安いものじゃ全然違います(まあ型落ち品をセールしていることはありますが……)。先輩からすれば、安いラケットなんか使ってないで、さっさと高いいいラケットを使って上手くなってほしいんです。ラリーする相手なんて上手いに越したことないんだから。
まあ、これは主人公が主張していただけなので、実際の部活の様子では全然そうではなかった、という流れも考えられますが、県大会に出場していた主人公に染み付いた感覚としてはいかにもうさんくさい。
・物語には倫理的な圧力がかかる
この小説の出だしは感情移入とは別のプロセスがあるように思います。
最初主人公がクソ野郎であるためです。
私は、物語というのは面白くあるために、ある程度倫理的な制約を受けると考えています。
我々は普段守りたくもないのに、倫理というものを守らされています。社会的な生活に必要だからです。
守りたくないというのは意識的ではなく、無意識的な話です。我々は普段、全てを自分の思うままに振る舞いたいという欲望を抑圧することで何とかやりすごしています。
だからこそ人は、それを破る人間がおいしい思いをするのなんぞ、断じて見たくありません。理性ではなく感情が許しません。
つまり物語上において倫理がまかり通らないことは、非常に不服であり、直接「面白くない」につながります。ゆえに物語は一定の範囲において常に倫理的な制約を受けるのです。
だから、この物語が始まったとき、読者は「こんなクソ野郎はやく叩きのめされてしまえ」と呪います。断定です。そしてその通りになって溜飲が下がるというわけです。
なんでそんな面倒なプロセスがあるかというと、主人公が一度価値観をぶち壊された、フラットな目で物事を見れるということがあると思います。
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クラスの空気とか、そういうものについて考える契機になったら、この本はきっと本編の面白さ以上のものを持っていたといってよいのではないかと思います。私も反論していくうちに、あまり考えていなかった方向から考えたようにも思います。
まあ、全部私の勘違いである、という落ちではないことを祈りつつ。