リア王
- 作者: シェイクスピア,William Shakespeare,野島秀勝
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2000/05/16
- メディア: 文庫
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※4節目ネタバレ
・たまには古典の名作も
シェイクスピア四大悲劇の一角。いわゆる不朽の名作というやつですね。
どうして突然この作品を読んだのか我ながら良く分かりません。
しかし、面白さを体系立てて考えている以上、あらゆる物語の面白さを同じ地平で記述できなければならないはずです。
それにまあ、ラノベ読者には大変相性の良い話のように感じたので、この場で紹介してもそう不自然ではないと判断しました。
戯曲のためほぼ全編会話分しかないのと、饒舌さやら難しい言葉使いで多少の読みづらさはあると思いますが、とても面白い。文句なしにオススメです。
・シェイクスピアは英語を作る
シェイクスピアについて非常に印象に残っている言葉があります。別に有名人の言葉でもなく、ただ中学時代に教わっていた英語の塾講師の一言なのですが、
「私は英語を作りません。アメリカ人も英語を作りません。英語を作るのはシェイクスピアのような人だけです」
と言うものです。だから当然君たちも英語を作ることなんてできないんですから、形や表現を覚えて使うものですよ、という意味ですが、当時の私は「シェイクスピアすげえ!」と全く関係のないところで感動していました。あほか。
そんなわけで、シェイクスピアというのは一体どんなものかと思っていたんです。で、実際読んでみた感想としては、
凄まじいです。
ラノベだったら名言しかねえ、っていうレベルです。日本語訳なので音の美しさは分かりませんが、恐ろしく選び抜かれた言葉が使われてそうなのを感じます。最初からすごいと思って読んでるので、私の気のせいかもしれませんが。
ただ少なくとも皮肉と知性の光る饒舌な言い回しは、圧巻の一言です。この人がどこまで始祖なのか分かりませんが、基本的には饒舌キャラの源流に位置するのではないでしょうか。さすがに比べるのは酷ですが……
・別に悲劇ではない因果応報
先日、灼熱の小早川さんのレビューを書きましたが、そこで「物語には倫理的な圧力がかかる」と言う話をしました。
この話は、まさにその倫理的な圧力に突き動かされるように進みます。ちゃんとこのくらい古典でも通用する法則で安心しました。
この話の面白みはどこかというと、まさにその点に帰着すると思います。つまりまさに全ての人間に等しく「因果応報」が訪れることによるエンターテイメントです。
なにを言っているんだという感じかもしれませんが、悪いことをすればいずれ裁かれるというのは極めて理想的な話であって、これの上手く成立する話は立派なエンターテイメントになるんですね。
現代社会で暮らしていると、汚い立ち回りをする人間が得していませんか?既知外が自由に振舞っていても、我々は被害をこうむるだけではありませんか?
けれども一般の人々は倫理的な制約に縛られていなければなりません。だからこそ、それに縛られない人間が得をすることが許せないし、きちんと損をすることが面白さにつながるのです。
・具体的には
本文の話にもどりますが、実に汚い人間ばかりたくさん出てくる。まあある意味、とても「人間らしい」欲望にまみれた面々です。
彼らがそれはもう自分勝手に振る舞い、欲望のままに突き進んだ結果、自分の悪行が祟って死んでいく。このドラマチックな過程が実に気持ちいい。エンディングまでに7,8割の登場人物が死んでしまいますが、非常に爽快感があります。
コーディーリアが何故死んだという向きもあるかと思いますが、嫁いだ結果祖国を攻めるのに参加しているわけですから、ある意味不義理ですし、その辺の因果が祟っても仕方ないのではないでしょうか。
なんといっても一番熱いのはエドガーが決闘を挑むシーン。「俺の名前はもうない。だが貴様と剣を交えることはできる者だ!」という下りはもう。
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そんなわけで、今まで古典にはあまり目を向けなかったのですが、ここまで面白いと、もうちょっと読んでみてもいいかな!という気分になったので、ちょいちょい読んでいこうと思います。それくらい「面白い」作品でした。
まあ古典とはいえ、「もう新しいプロットなど存在しない」とディケンズが言ったのはもう150年も前のことらしいですし。古いから話も古い、なんて全く浅はかでした。
人間の汚さとある程度難しい言い回しに耐性がある人であれば、くどいようですが文句なくオススメです。