子羊は迷わない 回るひつじが2ひき 長く楽しめる構造

・デビューしたてとは思えない安定感を誇る良作

以前、

子ひつじは迷わない 走るひつじが1ぴき

で一巻を紹介したときから印象に変化はないが、キャラや文章、構造的な部分など全体的に安定しているので、安心して読める。

また今回新たに素晴らしいと思ったのは、大きな話の進みがあまり速くないにも関わらず、そこに関して意外なほど焦らされる感覚がないことだ。

これもまた以前の話だが、私は『も女会の不適切な日常1』を紹介したとき、「伏線(=大きな話)を引っ張ったまま話を続けられてはたまらない」ということを書いた。この本に関しては、今もその思いに変わりはない。

しかし今回の『子ひつじは迷わない』については、あくまで現段階ではあれど、そういった感想を覚えなかったのだ。この話にも根底で流れる大きな話があるにもかかわらず。

不思議に思ったため、今回はこの点について考えることにする。


・引っ張る質の違い

自分でも認めるが、この二つを比べるのは全く対等ではない。あまりに話の種類が違いすぎる。

ただ私は『子ひつじ』を読む限り、仙波と成田、佐々原の関係性が決着するときがこの話の終わりであり、基調低音として話の一貫性を支える肝であると考えている。

この前提の元に立てば『子ひつじ』も『も女会』も、中心を支える大きな話の終わりが見えないという意味で共通点が生まれ、いくらか比べる余地が生まれるではないかと思う。それに、全く違う種類の話である分、違いを見つけるのがたやすい。

まず一つ目としては、『子ひつじ』は登場人物の共通した短編連作形式を取っている。つまり一話ごとにエンターテイメントとして成立している。これに対し『も女会』は全体を通して一つの話であり、本筋を未解決のまま引っ張ると、1巻単体ではエンターテイメントとして成立しづらい。

『子ひつじ』は大きな流れとして、主要登場人物の関係性の変化があるが、それはあくまで本筋ではない。ゆえにそれ自体に変化のない(進まない)ことはエンターテイメントとしての質に必ずしも関係しない。

次に、引っ張る内容の違いがある。『も女会』は核心部分であり、ほのめかされている謎について伏線を引っ張った。こうすると、一冊では内容を消化しきれなくなる。一方『子ひつじ』は、現時点では全く分からない未来の内容であって、謎ではない。

これらの違いによって、どちらも一冊では大きな流れの終着点が(物語の尺的な意味で)見えない、という共通点にも関わらず、片方についてはエンタメとして楽しめながら、片方には強い不完全燃焼の感覚を覚えたものと考えられる。

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今回の比較は、自明のことをわざわざ遠回りして説明しただけのような気がしないでもないが、まあ言語化できただけ良しとしたい。<評価>
コメディ★★★
ミステリ★★★☆
テーマ性★★★☆