ドラフィル!―竜ヶ坂商店街オーケストラの英雄

・音楽とそれを愛する人々の物語

何とも説明に困ったので裏表紙にある紹介を引用すると、「竜ヶ坂商店街フィルハーモニー。通称『ドラフィル』を舞台に巻き起こる、音楽とそれを愛する人々の物語。」とのこと。なるほど、適切だと思う。

なぜ説明に困るかというと、題材とドラマが密接に関っていて「オーケストラの話だ」とも「ヒューマンドラマだ」とも言いづらいからだ。この辺、『ヴァンダル画廊街の奇跡』から何かの作品をモチーフにして話を組み立てることを続けている、この作者一流の芸当とも言える。

そのため音楽、とりわけクラシックに興味があれば文句なく楽しめるし、知らなかったとしてもストーリー自体が面白く、ここから興味を持てることもありうるので、万人に勧めやすい作品となっている。

私はクラシックに関しては無知だし、聞き分ける感性もあまりないので、本書の描写が真に迫っているかは分からない。

しかし、少なくとも納得させるパワーを持った作品だったとは思う。


・言葉はいらねえ!

本書の決め台詞として、「私達は音楽家だ。なら言葉はいらねえ。音で語れ!」というものがある。

音で語る、というのは本書にとって核になる部分だ。音楽を愛する登場人物たちは、みんな音楽でつながることができる。

しかし本書は当然ながら音が出るわけではないので、音で語ることはできない。

にも関らず私はこの表現が、本書においてはかなりうまくいっているように感じたのだ。言葉=台詞にすることなく、伝えることができている。しかもそれは、音のない小説「だからこそ」うまくいったのだと感じた。

なぜ音楽によって伝えるにも関らず、音のない小説でなければならないか。

音のない媒体においては、聴いた人間ががどういう風に感じているかを描写し、それに感情移入することによって、音での表現が難しい部分や、分かる人にしか分からない表現などを読者に音を用いることなく伝えることができる。

その音楽はまさに想像上でしか鳴っていない、架空のものではあるが、確かに音楽に感情を揺り動かされているように感じることができる。もしくは、そういう風に感じる音楽が鳴っていると想像することができる。

一方で音にしてしまうと、その音は唯一のものとして固定されてしまう。固定されてしまうと、後はそれをどう受け取るか、という問題になる。

音楽というのは比較的、受け取り方が変わりやすい部類の表現方法である。文字などと比べると、相手が受け取る情報量どころか、種類にすら差が出てしまうことも少なくない。

そうすると自分がその音から感じるものと、登場人物が感じる印象のズレが必然的に気になってしまうのだ。

そのため、こういった表現は逆説的に音のない媒体でしか行うことができない独自のものであり、それをうまく利用しているように感じた。

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元々音楽自体はかなり入れ込んでいることもあり、かなり面白く読めた。ストーリーとしても一工夫あり、最後まで気の抜けない展開で引っ張ってくれる良作。★★★☆に+αしたいほど。<評価>
日常系★★★
狂言回し★★★
親愛★★★
無双系★★★☆
ビルドゥングス・ロマン★★★
テーマ★★★☆