朝顔 ヒカルが地球にいたころ……⑥ 男女の関係で恋愛以上のものはあるか?
“朝顔" ヒカルが地球にいたころ……(6) (ファミ通文庫)
- 作者: 野村美月,竹岡美穂
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2012/12/27
- メディア: 文庫
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※2節目ネタバレ
・超ハーレム…だがラブコメではない
光源氏のごとく多くの恋をしたヒカル。ヒカル亡き後、赤城是光はヒカルの幽霊に取りつかれてしまう。その願いを叶えるべく、ヒカルが生前交わした約束を果たしていくことになるが……
野村美月氏は『文学少女』でエンタメのコツを掴んだのか、以降の作品はかなり安定して面白い。それまでの作品が悪いというわけではないが、いかんせんニッチすぎた。
人間関係の中に伏線を張っておいて、最後にどんでん返しを持ってくる、というのは言うのは簡単だが、やはり芸とか技とか呼ぶべきものだと思う。
ミステリテイストを嫌う向きもあるかもしれないが、ミステリがかなり苦手な私でも問題なく楽しめるので、心配無用と言いたい。
ハーレムの加速具合に問題がないではないが、(だいたい一巻一人で増えていく…)それが好きな人もあるだろうし、悪いわけでもないので、やはりおススメと言えそうだ。
・朝ちゃんの目指したものは
今巻のメインヒロイン、朝ちゃんの望みに少し注目したい。
彼女はヒカルにとって唯一の存在になるために、恋はしないと言った。
なぜならみんなヒカルに恋をするが、ヒカルは全ての「花」に真摯に、平等に愛をささげるからだという。つまり、その中の一人になってしまっては、ヒカルにとって唯一の存在になれないからだ。
確かにヒカルを相手取る場合に、恋愛という関係にすると唯一の存在ではないのは確かだろう。代わりに、有用であること、信頼のおける並び立つ存在として、唯一の存在になろうとした。
しかし、人間の取り得る関係として、恋愛以上に強い結びつきはあるだろうか。
この場合、単純に人間関係を信頼という観点から見てもいい。人を信頼する場合には必ずある程度の定義づけが必要になる。「彼は〜の点では信頼できる」と言った風だ。この定義づけによって、友達だったり、嫌いなやつだったり、同志だったり、恋愛対象だったりする。
この定義づけにおいて、唯一の存在となることはできる。「彼女はもっとも私の意志について理解がある」などだ。
しかし、それでは恋愛の壁は越えられないように思う。何かで唯一というのは、基本的には相対的な評価であるのに対し、恋愛は自分の理想を相手に投影して、それを信頼することで成立する、いわば絶対的な評価だからだ。
替えのきかない存在として、どちらが優先されうるだろうか。私は恋愛だと思う。特に恋愛の信奉者でもないので、そんなに推したいわけではないのだが……ともかく。
ゆえに、彼女が恋をしないと言ったのは、葵が占めているポジションがどうしても自分のところに回ってこないことに対する諦めと、その代償行動だったのだ、という本人の結論にはとても納得できた。
・ヒロインを救う理由に妙あり
以前に詳しく触れたので手短にするが、やはり最大のポイントは、主人公の赤城はヒカルの願いを叶えるため、必要に迫られてどんどん女の子を救っていき、自然にハーレムを形成するという驚異の構造を持っていることだろう。
ハーレムを形成するのに、主人公が「女の子救っちゃう病」である必要がないのだ。そこには友情という理由があり、その「救ってしまう歪さ」というテーマを回避できる。
このことが、主人公の人格を自由にすると同時に、ヒロインをテンプレから外すことに成功している。
通常であれば、ヒロインをたくさん救ってハーレムを形成してしまうような主人公には、ある程度キャラに偏向がある。適当に何人か思い浮かべればお分かり頂けると思う。
その観点から言えば、系統としては呪いのせいで強制的にヒロインを救う話(『神のみぞ知るセカイ』とか)などに近い。しかしそこに加えて「ヒカル」という共通のものがヒロインと主人公の間にあるために、その関係性が一味異なってくる。このあたりが本シリーズを他にはないものとして際立たせている要素ではないかと思う。
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少し間があくと、すぐに何を書いていいか分からなくなって困惑します……