アクセル・ワールド3

しかしやはり、デビューした年にいきなり電撃のトップランナーになる実力は半端じゃないと思います。まぁ下積みというかネット時代からプロじゃないのが不思議なくらい面白かったもんな…。

以下反転。(SAOとのつながり的な意味でも多少ネタバレを含むので注意してください)

しかし、こんな終わり方で評価できるかあああぁぁぁ…な3巻。

いや、相変わらず面白いですよ?そりゃもう外さない面白さですが。この終わり方は…あるけどさ!全然ありだけど!気になってもう…しかも半年待たされる…だと…。まぁこの作者さんだからそんなに心配はしませんが…。

それはさておき。

心意とか、ネット時代から読んでる人にはニヤリと来る話で何とも。やっぱり線形につながった世界の話なんだなぁ…という。

何が巧かったかって、同じ心意の話をしていて現象的にもほとんど同じなのに、ちゃんとそれが発言する理由が細かく違うんですよね。そりゃ媒体が違うから当たり前なのですが、こういう考察をちゃんと外さないのは流石だと思います。

しかしなんでこのネタ2回使ったのかなぁと少し思ったのですが…ペトロニウスさんのこちらの記事

http://d.hatena.ne.jp/nyapoona/20091008/1255005968

を読んで納得しました。

ふと思い返してみるとこの作者の書く話って、どちらもゲームがただのゲームでなくなる話じゃないですか。

しかしだからゲーム自体がメインになっちゃう、という事ではなくて、ゲームはあくまでゲームだよとも言う。「ゲームは普通勝ってクリアするものでしょ?」とか、「他人のRPGを横で眺めているほどつまらないことはない」とか。そういう具体的な台詞だけでなく、主人公のスタンス自体がそうと言えるとも思いますが。

ただそういうスタンスでいながら、そんなゲームにだって本物の何かがあるよ、という事が繰り返し語られていく。

要するにゲームを肯定してるのかな。ゲームって「何の意義もないが、それでも個人の望みと欲望でゲームし続けるのもまた正義」といった肯定のされ方はよくするように思うのですが、それって結局ゲーム自体は意味なしってことですし。そうじゃない、ゲームによって育まれるものもまた確かにあるんだぜ、と。

そして心意というものがあると、その育まれるものが作者が今まで良く書いていた他人との関係性だけでなく、リンク先で書いていらっしゃるように個人にまで話が広がる。だから心意なのか!

何か自分の中でつながった気がしたので、思わずトラックバックさせて頂きました…なんかもういつも開眼させてもらってありがとうございます。

別にゲーム肯定することに主眼を置いているわけではないので蛇足と言えばそうなのですが、最初に出した主張や主人公のスタンスを曲げないながらも話を広げられるナイスアイデアだったんだな…と。

なんかもう、やっぱこの作者すごいぜ!って言いたかっただけです、はい。

信者うぜぇ(笑)←俺