マリア様がみてる フェアウェルブーケ 今野緒雪

マリア様がみてる 1 (コバルト文庫)

マリア様がみてる 1 (コバルト文庫)

※新刊が出ていい機会だったので、シリーズ全般の話をします。タイトルにしてリンク張っておいてなんですが……。

・ジャンルを超えた傑作

本シリーズは百合であると言われます。

むしろ僕ぐらいの世代だと百合といったらここが出発点ではないかと錯覚するほどです。実際は違うそうですが。

確かにWikipediaの百合の項の作品群にも含まれています。

しかし。しかしです。

それはこの作品の一面をすら表していないのではないか、と考えることがあります。そしてその先入観ゆえに多くの人が手に取ることをためらった結果、今に至るまで十全に評価されていないように見えるのです。

絶対に言っておかなければならないのは、本シリーズは友情を通して「信頼」を描いた話だということです。そして傑作です。

現実の恋愛につきものの、不合理な感情的さ――まさにそれこそが恋愛であると言いうるものはここには存在しない。擬似恋愛ですらありません。

もちろん恋愛を描いた話、擬似恋愛だったというような話も短編その他でわずかながら存在します。しかし本筋ではないという事です。


・お前を信じる俺を信じろ!

本編は大雑把に分ければ、私はこの観点で見れば2部構成だと考えています。

パラソルをさして』までが第一部、『薔薇の花かんむり』までが第二部。あとは後日談です。

第一部では、主人公が「信頼してくれている相手を信頼する」ことができるようになるまでの話です。

第二部は「自分の信じた相手を信頼し続ける」ことができるようになるまでの話です。

言葉にすると簡単ですが、これがいかに難しいことかはよく分かるかと思います。小さな出来事でも簡単に信頼関係にはひびが入りますし、時間の経過であっさりなくなってしまったりします。

この現実ではほとんどありえないような奇跡が、確固たる強度を持って描き出されたときの、その美しさたるや、まさに傑作と呼ぶににふさわしいと思います。


・長い?長いからいいんだ!

ではその確固たる強度はどこから来たのか。

信頼というのは突き詰めて言えば「この人はきっとこうする」という要素の集合です。そしてそれは幻想です。当人がそう考えているだけで、本当に相手がそうするかは実際のところ全く分かりません。

この幻想は互いの関係にも及びます。お互いが「私たちは互いのためだったら命を捨てることができるだろう」と思っていれば本当にそうなるし、「私は高潔な人間だと思われている」と思えばそのとおりに振舞おうとします。

この幻想がどのくらいのレベルになるかで、全く関係が変わります。

信頼、つまりこの幻想は、結局のところ相手の行動一つ一つの積み重ねからしか生まれないと思います。だからこんなに話が長いんです。本編だけで30冊を超え、番外編を含めると40に届くほどに。

そして長い分だけ行動が積み重ねられ、作品の強度もまた上がることになります。


・日常系ジャンルを越えた先へ

一見、本作品はただ特別でないただの日常を描いた話に見えます。最近流行のけいおん!とか(ちょっと古い)あずまんが大王とか、らきすた!など四コマ系は近いでしょう。

しかしその中でなお、一回性の輝きだけでなく、普遍的な美しさやその過程での成長をも描ききった、まさにジャンルを超えた傑作と言えるのではないでしょうか。

最終的に「好き」「嫌い」はあっても、そのジャンルが好きな人にしか通用しない作品では決してないと思います。

まあ、最新刊はもはやファンディスクのファンディスクですが……。