輪環の魔導師10 ヤンデレ万歳!

※2節目以降ネタバレ


・ポップな本格ファンタジー

今回めでたく完結した、電撃指折りのファンタジー

国家間の紛争や人種差別など、ライトノベルには少し重い(?)要素をふんだんに含みつつ、アニメよりのポップなキャラクターやバトルでエンターテイメントとしてのクオリティを高く保った素晴らしい作品でした。

出だしは善悪という単純な対立を作りながら、徐々にその枠を超えて敵が味方に、味方が敵にと交錯していきます。見かけの正しさなど大した意味を持たない戦乱の中、正しさとはなんなのか?貫くものはなにか?

また今回はヒロインがヤンデレなのですが、終盤にその意味が問われたときついに真価を発揮します。これはすげえ!


ヤンデレだっていいじゃない

とりあえずこの話をしないことには始まりません。

ヤンデレって否定的なイメージが先立ちませんか?

誠死ねだったり、死ぬほど愛されて眠れないだったり、結果的に崩壊へと導くパターンが過半じゃないでしょうか。

なぜこうなるかというと、バランスが崩れているからだと考えています。ヤンデレは本来共同社会にある程度割かねばならないものを、全て一人に集中するために、基本的に異常者にならざるを得ない。

社会的制約を受けない=別に社会に所属してないとか、倫理的制約を受けない=別に人の間で暮らしていける必要がないとか。そりゃイカれた人扱いされます。

ゆえにどこか破滅的なイメージに通じるヤンデレですが、本作品においては「別にいいんじゃない?」どころか「それくらい強い意志を持ってりゃ上等だよ!」くらいのノリです。なんてったってラスボスの必殺技をただ一人この意志力で打ち破りますからね!

このヤンデレについての話は、本作品におけるテーマの一つ「善悪を超えた行動原理とは?」に繋がってきます。

個人的には、非常に大雑把に言えば「信念に従った行動だ!」ということになると思うのですが、これを究極の形で体現して見せるのがヤンデレヒロイン・フィノなわけです。すごいぜ渡瀬先生!


・混沌を是とし、信念を貫くこと

非常に王道的な物語の類型パターンの一つに、「人間なんでクソだから滅ぼしてしまえ!」又は「人間は進化して完全なる存在になるべきだ!」というラスボスの存在があります。大体において、高い理想と良心を持った人物が、人間の汚さに絶望して滅ぼすことを決意するとかいうシナリオとセットになっています。一つや二つ心当たりがあることでしょう。

少年漫画的には、これは「それでも、人間は素晴らしいんだ!そんな汚い人間ばっかりじゃない!」とか「だからと言ってそんなやり方が許されるものか!」といってラスボスをぶっ飛ばし、「お前らのその絆をもう一度信じてみよう…」という所までテンプレなのですが、本作品においては一味違います。

とある宗教を信じる人間の、安息を求める心を素直に叶えようとしてしまう神様を、「気に食わないからぶっ殺す!」と言って滅ぼしてしまいます。

神様に操られた人間は永遠の安らぎを得て、まさに極楽浄土なのですが、一切の不足がないがゆえに意志を剥奪されてしまいます。そんな状態の人間は認めない、というのです。

どうでしょう。ここまでいくともはやどっちがいいか悪いか、という問題ではなく、ただ信念の問題に帰着します。汚くて欲深い、矛盾もしている。だけどそれがいい。ここにあるのはそれらを丸ごと肯定していく人間賛歌です。

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善悪を超えると、話が一気に面白くなると思います。

善悪でぶった切る話というのは非常にシンプルですが、ややマンネリ化しがちです。その点、それを破ってしまえば、どうやって敵を敵たらしめるか、主人公を主人公たらしめるかという部分に幅が出てくるし、信念としても揺さぶりがかけられて、より深いものになっていくからです。

もっとこういう話が増えればいいなと思います。オススメ。