マルドゥック・スクランブル 排気 圧倒的に尺が足りない……

※マイナスの内容が多くなっているので、それが不快な方は読まない方がいいと思います。ただの悪口ではないつもりですが……


・どうしてこうなった

この映画は『マルドゥック・スクランブル』の第三巻「排気」を映画化したもので、当然映画としても第三部だ。ゆえに本作についての説明は省かせていただく。

映画の前2部は機会を逸し見ることができなかった。しかし原作は私も傑作だと思っているだけに、期待が先行していた。

だが結果としては、あまりに腑に落ちないものだった。なぜこうも納得がいかなかったのか、すこし考えてみたいと思う。


・絶対的な尺不足

確信を持って言えるのは、絶対に尺が足りてないということだ。

明らかに台詞と台詞の間が足りていない。全体通して言えることだが、特にアシュレイとの勝負におけるクライマックスは顕著だった。

また内容の詰め込みすぎで、キャラクターの心情の変化がほとんど分からない。そのせいでベル・ウィングの台詞などは完全に浮いていたように思う。ドクターの「23時間経った」という下りも、台詞に何の感情も載っていなくて不気味だった。これは声優の力量などではなく、尺が問題だったのだろう。

はしょり方もひどい。原作を読んでいなければ何が起こっているか全く分からないだろう。読んでいても感情的には全くついていけなかったのだ。例えばシェルに対するいわば「復讐」のシーンは全編カットされている。最初のブラックジャックで客が立っていくシーンも圧縮しすぎている。あとこの展開だと、オクトーバーが交渉を申し込んできたっていうのが投げっぱなしになっているのでは……

私は情報の圧縮についてはうまくやる分には内容が濃くなるため歓迎だと思っている。しかし内容の圧縮というのは、基本的には誰でも理解できるほど共通の文脈を持っている、ほのめかしただけで通じるような内容に限られるはずだ。原作を読んだ人なら意味が分かる、ということでは映像としての出来は悪くなる一方だろう。


・情報の不足

いちいち起こっている事象に対し、あまりに説明が少ないように思う。先ほどのはしょり方に重なる部分もあるが、小説では説明のあった部分の説明があまりに少ない。

ボイルドとの対戦シーンが顕著だが、何が起こっているか理解することはほとんど至難の技と言っていいはず。地の文での駆け引きをごっそり削った結果、ただの激しいアクションシーンになっている。原作を知っていれば、映像で表現しているように見えなくもないが、あのスピードの中では伝わらないだろう。

例えシーンをカットしていない部分であっても、この説明不足は本当にあらゆる点で見受けられる。ブラックジャックでバロットが何をしていたか、この映像だけで通じるとは思えない。様々な情報を増やす法方があるにも関わらずいずれも選択しなかったということは、やはり原因は尺不足だと考えられるが……

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原作が良かっただけに、なぜこのような出来になってしまったのか残念でならない。せめて倍の尺で作ることはできなかったのか。

製作者側にも様々な制約や事情があったのだとは思う。私の言い分はないものねだりかもしれない。

しかしこれなら、私は全力で映画を見ずに小説を読むことを勧めるだろう。それほどに受ける印象が乖離している。

というわけで、全くオススメしない。あわよくば映画の宣伝効果で、原作の読者が多少なりとも増えればいいとは思うが……