オカルトロジック 記号性を活かしたエンターテイメント

・人間から世界を取り戻せ!

入学した高校の「丘研」には、深いトラウマを持つ人間ばかりが集まっていて…?

裏のあらすじを読んでも要領をえないように感じたが、なるほど説明のしづらい話だった。

基本的にはオカルトを題材にして話を展開するのだが、キャラクターの設定が強すぎて独自の方向に向かっているように感じた。

なんとなくトラウマというとテーマ性の強い話を想像するかもしれないが、意外と深く考えないでエンターテイメントとして楽しむ作品かもしれない。


・トラウマをテーマにしない

本書の登場人物は基本的にものすごいトラウマ持ちばかりである。それが人格形成に大きく影響を与えているのだが、その辺がかえって記号的で、キャラが個性的という感じではない。むしろ非常にロジカルなのではないかと思う。

トラウマからテーマ性が発生するというよりは、物語のパーツとして使われているように見える。それはキャラクターの行動原理に影響を与えるけれど、それが問題として扱われることはない。

そのなにがしか大衆に迎合できない要素を持つことで、「マイノリティ」であることをはっきりさせることが重要視されているようだ。


・マイノリティの反抗

マジョリティに対するマイノリティの反抗という構図は、普段私たちが抑圧している欲望を満足させる。

私たちは本来自分は自分の思うままに行動したいのに、社会に迎合しなければ生きられないので我慢している。なので、社会から疎外されることは恐れる一方で、それがぶち壊されることにどこか爽快感を覚える。

このマイノリティの反抗というのは、普段屈している社会に反旗を翻すという意味で、とても爽快だ。本書をエンターテイメントだと言ったのはこの点が大きい。

この欲望がフィクションにおいてどう解決されるのかは結構気になっている。

一つには、叶わないで主人公たちが敗れて終わるパターンだ。本編でも少し示唆されているが、当然マイノリティが勝ってしまったら社会が成り立たなくなって、ひいては彼らマイノリティも破綻してしまうし、我々の生活も成り立たなくなる。ゆえに、これは一番丸く収まると思う。

この終わり方としては、「このやり方じゃだめだ!」と気づいて、マイノリティによる反抗、という形をやめることもあり得る。

もう一つは主人公たちが勝ってしまうパターンだ。主人公たちと同化している分には充足感が大きいだろうが、正直カタストロフィになる気しかしない。

よく考えないでも前者の可能性が高いが、ライトノベルという枠組みでは意外と後者にも分がある…かもしれない。ないとは思う。

完結しているらしいので、もし続きを読むようならその辺に注目したいと思う。