時間経過によって減じる「面白さ」
・物語にはタイミングがある?
好きだったシリーズが、だんだんそうでもなくなってくる。
この話にはもう少し早く出会っていたかった、と思う。
そんな経験はないでしょうか。私はたくさんあります。
ここでのタイミングとは、発売時期といったタイミングではなく(それはそれで興味深いですが)、単純にユーザーがその物語に触れるタイミングという事です。
面白いには、合う、合わないというのがある一方、いつ読んだか、と言うのが関係してくるように思います。
しかしまた、児童文学を大人になって読んでもめちゃくちゃ面白いなんてケースはあるわけで。
いったい何が違うのか?少し考えてみたいと思います。
・成長は成長譚を駆逐する
まず私が面白さが目減りしたと感じたシリーズを挙げて、それらについて共通点を探してみたいと思います。
注意しておくことがあるとすれば、私が時期を外して面白く読めなかっただけであって、作品自体の良し悪しに触れたいわけではないことです。
とりあえず思いつくのは『ココロコネクト』シリーズ。
- 作者: 庵田定夏,白身魚
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2010/01/30
- メディア: 文庫
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私はこのシリーズは、成長のために物語が存在するタイプの話だと思っています。テーマ性が非常に強く、構成としても常にある成長を軸に組み立てられているからです。
何が問題だったかというと、そのテーマとなる主張が個人的に自明と感じたために、その点について悩む主人公に共感ができなかかったことです。
テーマが話の軸になっていますので、エンターテイメント性としては、それを追求した作品には一歩劣る。テーマを押し出した作品と言うのは、やはり透けて見える分だけ作為を感じて、ストーリー性が減じることがままあると思うからです。
ただ逆に主人公たちの悩みにシンクロできた場合、そのパラダイムシフトと共にすさまじく感動できるので、この形式が一概に悪いわけではないとは思います。中学か、せめて高校生の時読んでればなあ……。
高い次元で融合した傑作である『十二国記』など、テーマ性があっても十分にエンターテイメント性が強く面白い場合もありますが、まあ例外と言っていいでしょう。
あとは『さくら荘のペットな彼女』でしょうか。
- 作者: 鴨志田一,溝口ケージ
- 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
- 発売日: 2010/01/10
- メディア: 文庫
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同じくテーマ性とは言えるかは分かりませんが、主人公が成長することがメインの話ですね。
これも話自体は割と丁寧だったような気はするのですが、同じように主人公の悩みに共感できず、うまく物語に乗れなかった話でした。
この二つにおいて面白いと感じなかった理由はほとんど共通していて、
・テーマ性が強い(ストーリー性が弱い)
・テーマを自明と感じている
このふたつです。
別に二つと言わず、テーマを自明と感じる話は全てダメそうに感じますが、案外そうでもありません。
・成長が自明に感じても許せる
実際、「成長が自明に感じても許せるケースも数多く存在します。
例えば、『偽りのドラグーン』です。
主人公のジャン・アバディーンというのが序盤ではかなりしょうもない奴で、読んでていらいらすること請け合いで、当たり前だ、お前は馬鹿なのか!というくらいの所から成長していきます。
ただし、別にこれは比較的許せます。ジャンの成長はストーリーに付随するものであり、それがなくても物語はエンターテイメントとして機能するからです。
これが不思議なもので、成長が自明に感じても、ストーリーが中心に据えてあると、主人公の成長それ自体を「エンターテイメント」として捉えることができるように思います。
ゆえに今回の推論としては、
・時間による面白さの劣化は、ストーリーより成長をメインの物語において、さらにその成長が自明に感じた時に起こる
こんな感じでしょうか。
作品を判断する時に、自分が面白いと感じなくても、もしかしたらこの時間による劣化のせいかもしれない、と思うことで、決めつけが減らせたりできれば幸いです。